主催:映画「ヤング通りの住人たち」, テンロクムービープロジェクト, 葡萄小屋の青年達(廣島屋) 協力:釜石市, ホテルサンルート釜石, utaca,カクカク企画, 釜石応援団 協賛:宇陀市観光連盟, タクミホーム株式会社, (有)ムーブファクトリー, ステキ工房 株式会社モプロ, 茨木市文化振興財団文化事業係, (株)ヒカリスポーツ, 釜石応援団, 雲田 輝次 財団法人関西カウンセリングセンター 理事長 古今堂 靖, 井上 栄治 後援:岩手日報社
2011年3月11日(金)14時46分18秒東日本大震災
その日のその時間、私は会議中で、窓の外の電信柱が揺れるのを見て、めまいを起こしている感覚に陥った。その数分後、ビルの中のざわめきで、地震だと気付いた。そして携帯が鳴りだし、事の重大さを知る。それから見る日々のニュースは、想像もつかない現状、生まれ育った街が流されていく姿を映し出していた。
やっと、釜石市に戻ることができたのは、5月だった。釜石駅からの慣れ親しんだ道、建物、人々は姿を変え、覚悟はしていたが、自然の猛威がした現実に、言葉がなかった。街を歩き、自分の肌でまざまざと体感する。そして、気付くと私は、ただただカメラのシャッターをきっていた。何を伝えたいかも分からずに…。
2011年5月・8月、2012年1月・3月・5月と帰省した1年間、街を歩いては撮影した。1年を通して分かったことは、確実に復興へ、前へ向かっていく街、そこに暮らす人々がいる。樹々が芽吹き、花が色づき、希望の明るい空が広がっている。そして、やっぱり、故郷釜石が好きだということ。
これらの写真から感じるものは、様々だろう。様々に感じながら、もし機会があるのならば、被災地に足を運んで、自分の目で見て、感じてほしい、そして、自分の言葉で伝えてほしい。という想いを込めて…。
撮影:石田摩耶子
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2011年3月11日(金)14時46分18秒
東日本大震災
その日のその時間、私は会議中で、窓の外の電信柱が揺れるのを見て、めまいを起こしている感覚に陥った。その数分後、ビルの中のざわめきで、地震だと気付いた。そして携帯が鳴りだし、事の重大さを知る。
それから見る日々のニュースは、想像もつかない現状、生まれ育った街が流されていく姿を映し出していた。
やっと、釜石市に戻ることができたのは、5月だった。釜石駅からの慣れ親しんだ道、建物、人々は姿を変え、覚悟はしていたが、自然の猛威がした現実に、言葉がなかった。街を歩き、自分の肌でまざまざと体感する。そして、気付くと私は、ただただカメラのシャッターをきっていた。何を伝えたいかも分からずに…。
2011年5月・8月、2012年1月・3月・5月と帰省した1年間、街を歩いては撮影した。1年を通して分かったことは、確実に復興へ、前へ向かっていく街、そこに暮らす人々がいる。樹々が芽吹き、花が色づき、希望の明るい空が広がっている。そして、やっぱり、故郷釜石が好きだということ。
これらの写真から感じるものは、様々だろう。様々に感じながら、もし機会があるのならば、被災地に足を運んで、自分の目で見て、感じてほしい、そして、自分の言葉で伝えてほしい。という想いを込めて…。
撮影:石田摩耶子